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執筆者の写真Haruna

とある日の母との会話

更新日:2021年10月15日


とある日の母との会話、ダイジェスト版



私:私がカミングアウトしたとき、悩んでいる様子が見受けられませんでしたが、実は悩んだりしていました?


母:悩まなかった。本人がそれが原因で苦しんでいれば、もっと悩んだかもしれないが、本人に悩んでいる様子はなく、そこに問題を感じなかった。


私:LGBTの親の会みたいなのがあれば行きました?


母:行かなかったと思う、そういうのが無くても、あなたがいろんな人に言ってほしいと言っていたから、周りの人に話していた。そして同じようにLGBTの子を持つ親も見つけた。


私:なるほど。地方の親や、もっと型にはまった家族像を持っている親の場合、自分の子供が不幸になる、というイメージを持って悩んだりする人もいるみたいですよ。


母:そういうこともあるかもね。私の周りにもLGBTの親が何人かいるけど、気にしている様子はみられない。山形の〇〇ちゃんとこもそうだけど全然気にしていない。ただカミングアウトされて驚いたり、悩んだり、苦しんだりしたとしても、それは親と子の関係では子が生まれたときから常に起きていること。そういう意味でカミングアウトは親子の営みのひとつ。だから、カミングアウトしないで抱え込むよりは、カミングアウトして対話してほしい、と私だったら思う。


私:ほんとにそうですね、ただカミングアウトをすると親を不幸にしてしまうとか、悲しませてしまうと本人が感じてしまう場合がある。カミングアウトする本人は、無意識的にも意識的にも同性愛が普通とは違うと考えている人も多く、自分で自分を認められていないケースがある。


母:なるほど、そういう人たちのために、あなたがなにかやったほうが良いんじゃない?


私:ほんとそうなんですよね、自分と同じような友達がいて、いろんな人の考え方や生き方に触れていることって大事だよね。今日これからFriends’ Friends っていうLGBTQ向けの交流イベントをやるんです。これからいろいろやろうと思っているんです。

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